民間企業での就業経験を積むべく、建築家の安藤忠雄氏の双子の兄弟の北山孝雄氏が代表を務める不動産プロデュース会社の北山創造研究所に就職し、主に県や市などの地方自治体の街づくり計画や再開発計画のコンサルティング業務を担当。業務を通じてデザインの力学び、政策こそデザインが重要だと確信し、より一層政治の道への思いを強くし、退職後は政治活動をはじめる。
昭和53年7月2日、東京港区に生まれる。3歳の時に父親を亡くし、母子家庭で育つ。
白金幼稚園から慶應義塾幼稚舎に進学し、5年生からの部活動ではラグビー部に入り、以来高校卒業まで部活動に明け暮れる青春時代を過ごす。
法学部政治学科に進学した大学時代は体育会には所属せず、行政学のゼミ代表を務めるなど、一転勉学の道を進む。政治の勉強を通じ、我が国の政治に対する不満と我が国の将来を憂う気持ちが強く芽生え、政治家を志す。
卒業後は、国際感覚を身につけ、人のために尽くす公の仕事を担える人材になるべく留学を決意し渡米。ニューヨークのシラキュース大学の語学学校に籍を置き、一年間徹底的に英語の実力をつけると共に大学の政治の授業を聴講。当初は同大学の行政学大学院へ進学予定だったが、円安の影響で修士課程二年間分の留学費用の目処がつかず無念の帰国。
政治分野での経験を積むべく、参議院議員武見敬三事務所で秘書として働き始める。
出勤初日に政策秘書が退職され、急遽後任に引き継ぐまでの約一年、政策秘書の業務を担当。
主に外交安全保障分野ではODA改革、東シナ海のガス油田問題やFTA戦略そして人間の安全保障等について、また社会保障分野では、医療制度改革・年金制度改革・社会保険庁改革等について担当、同時に、議員の講演や論文等のスピーチライターも務める。
後任の政策秘書着任後は、主に後援会事務所において、HPやニュースレター・メーリングリスト等の支援者への広報活動や、講演会・後援会会合等の企画・運営を担当。
2年間働き、留学資金の目処が立ち、再度留学を決意。ロサンゼルスの南カリフォルニア大学公共政策大学院の修士課程に入学。各国から集まった官僚出身などの同級生らと共に切磋琢磨し、政策分析の手法や、政策評価の手法、そして政策の導入プロセスの分析等を学ぶ。
ブラジルやメキシコでの政策研究・政策提言などの国際的プロジェクトを経験し、無事二年で修士課程を修了、公共政策修士(Master of Public Policy)を修得し帰国。
民間企業での就業経験を積むべく、建築家の安藤忠雄氏の双子の兄弟の北山孝雄氏が代表を務める不動産プロデュース会社の北山創造研究所に就職し、主に県や市などの地方自治体の街づくり計画や再開発計画のコンサルティング業務を担当。業務を通じてデザインの力学び、政策こそデザインが重要だと確信し、より一層政治の道への思いを強くし、退職後は政治活動をはじめる。
政治活動を通じ、若者の社会や政治に対する無知・無関心の深刻さを痛感し、若者に社会や政治を「自分事」にする重要性を伝えるべく「次世代戦略会議」を同世代の友人らと立ち上げ、共同代表を務める。我が国が抱える課題についての勉強会、講演会、各種イベントなどを精力的に開催(現在も継続中)。
橋下大阪市長率いる大阪維新の会が立ち上げた維新政治塾の憲法改正と統治機構改革と通じ、自立した国家、自立した地方、自立した個人を実現するという理念に共鳴し、入塾。各地から集った国を憂う同志と熱い議論を交わす。
2012年11月日本維新の会衆議院東京都第5選挙区支部長となり、同年12月の第46回衆議院議員選挙に東京5区より日本維新の会公認で初出馬。45,518票のご支持を頂くも落選。捲土重来を期し政治活動を続ける傍ら、次世代戦略会議の活動を精力的に展開。
2013年12月、日本維新の会衆議院東京都第5選挙区支部長に再任され地元活動を本格化。2014年8月日本維新の会の分党に伴い、平沼赳夫党首率いる次世代の党への所属を決断、9月、次世代の党衆議院東京都第1支部支部長に就任、現在に至る。